乳滴/2019年3月1日号
健気・素直でなく反省
ラジオから唱歌「冬の景色」が流れた朝、家族は「のどかでいい歌」と言った。歌には麦踏みの情景が出てくるが、小学生の頃、河川敷の麦畑で麦踏みをやらされたことを思い出す。広い圃場で祖母と母とやった。強い北風に吹かれながらこどもにとって絶望的に広い圃場で黙々とやらされたという切ない思いが強い。
冬は苺の季節でもある。稲刈り後の田んぼでのトンネル栽培。夕方の菰(こも)かけをやらされた。稲ワラで編んだムシロ状の菰を竹竿を使い端から順に掛けて行く。コタツでテレビを見ていると「手伝え」と祖父母に言われ仕方なく畑へ。いつだったか「こどもはテレビばっかり見てちゃだめだ」と、なぜか当事者の私ではなく母(つまり長男の嫁)が姑からイヤミを言われていた。今、食卓に苺が載れば家族は大喜びで頬張っているが、私は苺にあまり魅力やロマンを感じない。
麦踏みは専用ローラーなら簡単(当時から持ってる人が近所にいた)だし、嫁イビリは孫のいないところでやればいいのにと不満はあったが、こどもにはとても言えず、冬の農作業は暗い思い出が多い。もしこれが酪農だったらどうだったろうか。とはいえ、私の性格が健気とか素直でなかったことも問題だったかと、今さら少しだけ反省もする。