乳滴/2016年7月20日号
語り継ごう牛乳の価値
朝日新聞の読者投稿シリーズ「語り継ぐ戦争」欄。6月20日付に「病の母のために牛乳を求めたが……」と題した東京都の89歳の女性の体験が掲載された。
終戦2年ほど前。たったひとりの肉親とも言える養母が病に倒れた。良い薬もなく医者からは「せめて牛乳を飲ませてあげられれば」と言われた。近くの牛乳店にお願いに行ったものの、奥のガラス扉越しに牛乳は見えたが、軍関係の納入分だと断られた。その悔しさが今も決して忘れられないというのが趣旨だ。
まさに牛乳は病人にとって薬と同義であった。戦後の食料難。国民の暮らしを守るためにどれだけ多くの農家が汗を流して国民の命を支えたか。戦後71年と言えども繰り返し伝えていかなければならない。
食料や食料品が身近にあふれている現代。不足の文字は頭から消え去り、「足りなければ輸入すればいいじゃないか」「コストの低い地域や国からの供給で十分だ」と日本人の農業や食料に対する傲慢な考え方が幅を利かせている。
子供の頃、近くの町に乳業工場があったため、生乳100%の学校給食だった。登下校時に牛乳配達の自転車の箱の中にあった5合瓶の牛乳が輝いて見えた。筆者の世代は、まだそんな体験を伝えられる。