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古今東西文学作品に食物の情景が描写された場面はかなり多い。延々数ページにわたって記述されているものもありますが、さてその中で酪農にかかわる、牛乳、乳製品、牛肉など果たしてどの位登場してくるのでしょうか。そしてその部分はその作品の中でどのような役割を果たしているのか、紀行文ならどうなのか、伝記類ではどうなのか、文学といっても幅広くとらえながら酪農(これも幅広く)とのかかわりあいをとらえていきたい。系列的に掲載することは不可能ですが、今回からは私(平出君雄・故人)が出会った作品の中から紹介させていただきます。今回は英国の女性で旅行家のイザベラ・バード「日本奥地紀行」をとりあげます。

日本奥地紀行 英国の女性旅作家―イザベラ・バード 著アマゾンで検索


あゝ、新鮮な牛乳飲みたい

1983-09-01

イザベラ・バードという女性は英国の旅行家であり多くの旅行記―「英国女性の見たアメリカ」「ハワイ諸島の6ヵ月間」「一婦人のロッキー山中生活」「日本奥地紀行」原題は『日本の未踏の土地』(2巻)「マレー半島紀行」「ペルシャ・クルジスタン旅行記」「朝鮮とその隣国」「揚子江とその奥地」-などの旅行記を書いています。


彼女は49才、明治11年(1878年)に日本を訪れ、6月中旬、日光を訪れ奥地旅行に入ったわけですが、即ち会津街道を北に進んで新潟、米沢、山形、新庄、横手、久保田(秋田)から青森、そして津軽海峡を渡ってエゾ(北海道)の旅を続けて函館に帰り、そこから横浜へと帰着したが、伊藤という通訳兼従者、そして料理番兼洗たく屋の青年をともなって3ヶ月の旅であった。


そして2年後、彼女は「日本の未踏の土地」と題して2巻にわたる旅行記を書き上げたわけですが、これは原題で普及版は「日本奥地紀行」と題されて出版された。


彼女はこの本の〝はしがき〟に『日光から北の方は全くのいなかで、その全工程を踏破したヨーロッパ人は、これまで1人もいなかった』=高梨健吉訳=と記しているように、旅行の準備は勿論のこと気候、風土、習慣のちがう他国の旅は大変であったことがわかる。


さて、旅行家というのは人間としてかなり順応性を持ち、なおかつ強い個性の持ち主でなければなれない気がしますが、彼女は日光を終り、いよいよ奥地旅行に旅立つ時一体食物についてどのような準備をしたのだろうか。第6信(この本は妹への手紙体のような形をとっている)で次のように書いています。


『食物の問題では、すべての人びとの忠告をあまり受け入れないことにした。私が持参したのは、ただ少量のリービッヒ肉エキス、4ポンドの乾葡萄、少しのチョコレートーこれらは、食べたり飲んだりするためのもの。いざという場合のためブランデーを少量。』これだけ読めば、いかにも非常食といった感じですが、基本的には〝郷にいれば郷に従え〟で食物は現地調達(伊藤青年の役目)をしながらの旅を続けたわけですが英国で育った彼女、新鮮なミルクやバター、チーズを飲みたい、食べたいという潜在意識はどこかにあったろうし、その可能性(まったくこれらの牛乳、乳製品の確保は不可能であることがわかっていたはずだが)を旅の途中で探ってみたかったのではないか。


この紀行文を読むと、かなり食物の記述があるが、当然のことながらそれは日本の東北地方、北海道地方の食生活の見聞です。読み進みながら、彼女の潜在的願望、探究心がどこかで牛乳、乳製品の出会いはないのかそのことは大変興味のあることでした。


やはりありました。今日でこそ東北地方のどこへいっても新鮮な牛乳が飲めますが、明治11年英国の女性旅行家イザベラ・バードさんは第18信=上ノ山にてで次のように書いています。


『きびしい山の旅を1日して、別の地方にやってきた。私たちは晴れた朝早く、市野野を出発した。荷物をのせた3頭の牛の中の1頭に私が乗ったが、3頭の子牛を連れたこの牝牛は大へん美しい牛で、小さな鼻と短い角、まっすぐな背骨と深々とした胴体をしていた。私は新鮮な牛乳を手に入れることができると思ったが、この地方の人びとにとって、子牛が母牛からの乳をしぼること以外は何でも聞き慣れぬことであったから、私の言葉を聞いて、みんな笑った。伊藤にきくと、彼らはそんなことはとてもいやらしいことだと思っており、日本人は、外国人がお茶を飲むときに「こんな強い臭いのする」ものを入れるとはとてもいやらしいことだと思うのだ、と言う。』=高梨健吉訳


イザベラーバードさんの願いは見事に打ちくだかれました。しかし、この行間から、香り豊な紅茶に新鮮な牛乳をたっぷり入れてひとときをくつろぐ姿を思い浮べている彼女自身が目に浮かびます。


それにしても明治11年といえば西南戦争の翌年とはいえ、この地方では乳牛から乳を搾って飲むのは「とてもいやらしいこと」になっていたわけです。


(次回は逆に江戸末期、16名の仲間と共にロシヤ国へ漂着、放浪10年の船頭大黒屋光太夫の生涯を描いた井上靖の「おろしゃ国酔夢譚」を紹介します。)

本連載は1983年9月1日~1988年5月1日までに終了したものを平出君雄氏(故人)の家族の許可を得て掲載しております。

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