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今回は天皇と牛乳、乳製品ということで児島襄著の「天皇」から紹介します。天皇家と牛乳、乳製品のかかわりは古く、西暦560年頃第29代の鉄明天皇の代に、百済から帰化した智聡という人が牛の乳をしぼる方法を伝えたこと、その息子が、第36代考徳天皇に牛乳をしぼって献上し、そのことにより貴族の間ですぐれた食品であるとして牛乳は次第に普及していったことは文献で明らかです。しかし、この習慣もくりかえし出された「肉食禁止令」の影響と「四つ足経視」によって、永い〝牛乳空白時代〟に入ってしまうわけです。江戸時代の将軍吉宗が白牛酪を製造したといっても、あくまで薬としての牛乳で、国の政策的なものは何もなかったのです「米」という2,000年の神話の中で牛乳、乳製品が一般国民の前に登場するのはたかだか50年か60年のことなのです。

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天皇家病床に登場する牛乳

1984-02-01

この小説の主人公はあくまでも今上天皇である。何故ならば、現天皇の成長と歩みが、そのまま大日本帝国から日本国へのわが国の足どりを象徴し、その姿に日本の苦楽が集約されているのである、と著者はいう。祖父の明治天皇、父の大正天皇のことはこの作品の中では崩御される前後の描写が多い。


病と闘われる明治天皇、大正天皇とその周囲の人々の悲しみと苦しみが書かれているが、やはり病と食べ物の描写は多いし、とくに牛乳がいかに秀れた食品であるかがわかる。長い日本の歴史の中で皇族の間では認められているものの一般的には、牛乳、乳製品が貴重で得がたい食品とされていたことがうなづける。


明治天皇崩御の項の書きだしは「明治天皇は、糖尿病にかかっていた。」というショッキングな書き出しで始まるこの項では九日後になくなる明治天皇にさしあげていた食事の内容が書かれているが、勿論固形物はいっさいうけつけず牛乳等を中心にした流動物であったわけです。


その流動物の内容は次のように書かれています。 『食事は、おもゆ、牛乳、あるいはスッポン、ニワトリのスープにブドウ酒、鮎、鯛などの魚肉をすりつぶしてまじえ、ドロドロにしたものをおすすめした。天皇は無意識にすすりこまれたが、味が濃すぎるのか、うわごとを口走られる合い間に、たびたび白湯(さゆ)を所望された。待医療には、京橋区南八丁掘の日本製氷会社京橋支店から連日約6百㌔の氷が届けられ、渋谷の御料牧場からは1日4回、約1.8㌔の牛乳が献上された。』


職員たちが、氷をくだいたり、牛乳をそそぐ音にも気をくばり、呼気さえもひそめて作業したとがあるが、日本国中が重苦しい気分であったのだろう。


また、明治天皇の妃である昭憲皇太后が病に伏してやや病状が回復された時の食事の内容がでてきますが、ここで一番先に書かれているのが牛乳です。やはり、この牛乳も明治天皇と同じ渋谷の御料牧場から運ばれてきたことはまちがいないでしょう。


作者は食事の内容等を次のように書いています。


『ほかの侍医、また27日には明治天皇を診察した東大医学部の青山・三浦両博士も、狭心症が「冠状動脈より来る発作的なもの」だけにきわめて憂慮したが、皇太后は、次第に脈も確かとなり、回復されていった。3月31日には、牛乳、カユのほか「みかんのゼリー、うづらの半片(はんぺん)とぢ、鱧(はも)のかきみ、湯葉のやはらか煮、ハマグリの御吸物」などのスープを飲めるようになり、4月6日にはフトンのうえに起きあがって、女官、侍医、職員たちに菓子を与え「いろいろ心配をかけたり」とねぎらわれた。』


大正10年裕仁親王(今上天皇)が欧州を御外遊され、スコットランドの大豪族であるアソール公爵家のアソール城に招かれたが、このパーティーには普通着の人達も招かれその数は百人にのぼり、富める者も貧しき者もいっしょになって踊りはじめたわけです。


踊りが始まるとアソール公爵夫人が年老いた酪農家と踊る描写があるが、その下りは次のように書かれています。


『足をはねあげ、ヒザをたたき、手をとり入り乱れ、その様子は「和気あいあいとして歓喜に充ち……主徒全く一家族となって……」と二荒伯爵が描写したように、公爵が村のおかみさんと手をとり、夜会服の公爵夫人がうす汚れた老農夫とステップをかわすなど、まことに朗らかな風情であった。


「おや、マクドナルドの二男ね乳牛はどう?」


「まだまだ、たっぷり乳は出ますだ」


「そう。こんど、もらいに行くわ」


「毎度、ありがとうごぜえます。奥さま」(中略)裕仁親王の唇もかすかに動いていたが、唇のふるえは、むしろ胸奥の感動のあらわれであったかもしれない。』


裕仁親王が英王室につぐ貴族であるアソール公爵家で目のあたりにみた、領主と酪農家をはじめ多くの領民との心からうちとけた姿に感銘をうけ「私は日本の華族や富豪たちがアソール公爵のやり方をまねたら、日本には過激思想などはおこらない。この私の感想を新聞電報でうってもかまいません」とのべたというが、大正10年頃この若き親王の声が日本にとどいたのだろうか。


さらに裕仁親王は父である大正天皇の崩御の悲しみにも耐える。大正天皇が崩御される直前の食卓の内容がこの作品にでてくるが、ここでは、ゴムの管で牛乳3百ccを飲むのがやっとの状態が書かれている。


作者は次のように書いていますが、文面からは流動物の牛乳だけが浮き出てくる感じです。 『(前略)だが、実際には天皇は、12月3日昼食時から病状が悪化し、12月8日には「御食事殆ど不可能」の容態になっていた。9日は、ゴム管でやっと牛乳3百ccを摂取するありさまとなり、(中略)いいかえれば、食欲はなくなり、ほぼ嗜眠状態だ、という、危険かつ不吉な徴候である(後略)』さらに、病状は悪化した最中に食塩水と牛乳の栄養液の腸への注入がでてきます。


『リンゲル液の注射、食塩水に牛乳を加えた栄養液の「注腸」もしたが、天皇は半睡半醒の状態で衰弱をつづけた。良子妃は18日は徹夜で皇后とともに看病し、裕二親王も連日、朝から深夜まで陸軍大佐の軍装のまま病室にとどまった。』と。

本連載は1983年9月1日~1988年5月1日までに終了したものを平出君雄氏(故人)の家族の許可を得て掲載しております。

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