酪農と文学 連載37
この「食卓の笑い」という書物には腹をかかえて笑いころげるたぐいの各国の小話がいっぱいつまっています。分類のために、フルコース形式で編集されていますが、その1つの章「アイスクリーム」いわゆるデザートに類するなかで今回紹介するロシアの民話を素材とした小話を紹介しています。さらに「娘牛が妊娠したのまでオレのせいにしないでくれ」泣いて訴える醜悪なこびとの妖精のでてくる一文は「戦争と平和」と題して書かれています。新年なので愉快なこの一文を紹介いたします。
食卓は笑う 開高健 著アマゾンで検索
牛の娘がはらむのも戦争が悪い
先ず、作者が学生時代に読んだというこのロシア民話の時代と舞台を紹介しますと次のようです。
『昔。ナポレオン戦争のあと。広大な、雪深い草原のあちこちに散らばる掘立小屋のなかで、とぼしい炉の火をかこんで、ロシアの農民たちは、毎夜毎夜、戦争を呪い、戦争の悪口をいい、なんでもかんでも戦争のせいにすることで、かろうじて鬱(うさ)を晴らしていた。』
そして、どんなことをうさをはらす材料にしたかというと、
『イワンの畑の大麦の伸びが遅れているのも戦争のせい。今年は雪が深くてお陽様がいつまでたっても射(さ)さないがこれも戦争のため。ワーニャが流産したのも戦争のため。アリョーシャの牝牛が春にもならないうちにくが鳴きをはじめて牡を求め、娘(アマ)ッ子の分際ですでに母親になってしまったのも戦争のせいだ、ということになった』
悪いことは、全て戦争のためなんだ、ということで農民は意気投合し、不満をぶちまけあってうさをはらし合っているわけです。
さて、局面が変わってきますが、どう転換するか。
『すると、ある夜、ホトホトと戸をたたくものがあり、お入りといって戸をあけてみると、全身雪まみれの、みすぼらしい、醜悪な小人(こびと)が、よちよちとランプの光輪のなかに入ってきた。小人は農民たちに向かって、オレは〝戦争〟です、〝戦争の精〟ですと自己紹介した。』
このみすぼらしい戦争の精は自己紹介したあと次のようにつづけます。
『ついで、オレは悪いヤツです。たしかにオレは悪いヤツです、町を破壊し、草原を焼き、家畜を殺し、女を強姦し、ロクなことをやらんです。それがオレの本性なんです。みなさんにどんなに悪口をいわれてもだまってるしかないス。』
しおらしく、自分自身を反省もし、また悪いヤツだとも認めているのです。
だが、次の文章をお読み下さい。
『しかしですね、みなさんはオレの悪口をいうあまり、アリョーシャの牝牛が春にもならないうちにボテ腹になっちまった、それまでオレのせいになさるのはあんまりだ。これは不当です。オレはなさけないですよ。』
といって、このみにくい小人は農民達を前にしてぐちって訴えます。この辺までは思わず笑い出したくなる下地を作っているわけですが、次の文章で、笑いは口からふき出します。
『そういって、そのみすぼらしい、醜悪な妖精は、鼻をこすりあげつつ、めそめそと泣き出した。』
みにくい、戦争の妖精が農民の前で、鼻水をすすり上げながら泣いているというこのおかしさは別格ですが、アリョーシャという農民の持ち牛が春をまたずに妊娠してしまったのも戦争のせいだ、とうさ晴らしする農民の心情もなんとなく理解できるが、その妊娠のせいは断じて私の責任ではない、そんな責任まで私におっかぶせるなんて、ひどいじゃないかといって訴えるところがまことに笑いをさそいます。
作者も言っていますが、この種のユーモアは笑え、笑えといってけしかけるたぐいのものではない、と。
その通りだと思いますので、読者の方は読み終わりましたらカギカッコ(『』の部分だけ続けてもう一度お読み下さい。
まあ、私などは、何か不満があると、女房が気にくわないとか、上司が悪いとか、税務署がどうとか、国はいったい何をしてるんだとかいっても、隣の猫がはらんだといって悲しまないだけ幸せな時代と、社会に生きているといえます。
本連載は1983年9月1日~1988年5月1日までに終了したものを平出君雄氏(故人)の家族の許可を得て掲載しております。