酪農と文学 連載11
ヒットラーのユダヤ人弾圧政策から9年後、アンネ一家ともう一家族・そして歯科医の8人が2年余にわたってナチスの目をのがれて隠れ家生活を送るが、この日記文学は、かしこくて、豊な感情をもった少女の目を通しての大人への社会批判です。この2年間はまさしく食べ物をいかに確保するか、そして先細りする食生活を前にした人間の真実の姿を見事に記録しています。今回は極限状況に登場する、牛乳や乳製品を紹介します。
アンネの日記―アンネ・フランク 著アマゾンで検索
異常下の乳製品 飽食時代を告発?
食べものがありあまるこの飽食の時代に生きているわれわれにとって、ここに登場する隠れ家の食糧難は、この勇気ある少女の心のうごめきとともに胸をしめつけます。
最悪の状況の中での2年間にわたる牛乳やバター、チーズ、牛肉はまさに先細りとなって行きます。
二つの家族と八人の隠れ人にも日記のはじめにでてくるような〝うれしいニュース〟バターの〝特別配給〟はまだよゆうがあります。
『〝隠れ家〟の住人は、クリスマスに一人につきバター4分の1ポンド(112㌘)ずつの特配を受けられる、といううれしいニュースを聞きました。新聞は半ポンドと言っていますが、これは政府から配給切符をもらえる幸運な人たちのことで、隠れ家にいるわたしたちユダヤ人は、8人分で4枚の闇の切符しか買えませんから、1人で4分の1ポンドということになります。』
しかし、息を殺して隠れ続ける人々も日がたてば食べ物の分配ではぎすぎすしてきます。アンネは同居の家族に向かってバターの配分で胸のうちを日記に次のように記録してます。
『新しいバターとマーガリンが、食卓で配給されました。めいめいの皿に、少しばかりの配給品が載せられました。ファン・ダーン家の人たちの分け方は、ずいぶん不公平だと思います。お父さんもお母さんも、けんかになるのを心配して、何も言いませんでしたが、わたしはくやしくてなりません。こんな人たちには、言うだけのことを言ってやらなければくせになります!』
さて、バターやマーガリンの分量で不満をいっても手に入るだけまだましなのですが、長い間にはとうとう次のような状況になっていきます。
『(前略)朝食はひからびたパンとコーヒーだけです。夕食には2週間もつづけて、ホウレ草かレタスを食べました。長さ20センチもあるジャガイモは腐ったような味がしました。』
でも、つらく苦しい日々でもたまには心あたたまる日もあるのです。同居人のおばさんの誕生日にチーズや肉の特配切符をプレゼントしています。そして、クリスマスにはヨーグルト1びんを―。
『今日はファン・ダーンのおばさんの誕生日です。うちではびんに入れたジャム、チーズ、肉、パンの切符などをプレゼントに上げました。(後略)』と。
『金曜日の夕方、わたしは生れてはじめてすばらしいクリスマスの贈り物をいただきました。(中略)』わたしとペーターとマルゴットにはヨーグルトを1びんずつ、大人たちにはビール1本ずつくれました。』とたった1びんのヨーグルトでもアンネにはすばらしいクリスマスプレゼントなのです。
作品の途中で姿をあらわす酪農産品はとてもちぐはぐです。多分特別な状況の中の食料入手がそうさせているのでしょう。
次の文章を読んでいただければおわかりでしょう。
『わたしたちのけんかや口論を、いちいちくわしくあなたに報告してもつまりませんから、ここでは、わたしたちがバターや肉や、その他いろいろなものを分配してしまい、ジャガイモのフライはめいめい作ることになった、ということだけをお知らせしましょう。』と。そして、『「お母さん、ほかの食糧はどのくらいあるか、勘定してみてくれ」「魚のかん詰が10かん、ミルクが10かん、粉ミルクが10キロ、サラダ油が3びん、つぼに入れたバターが3個、同じく肉が3個(後略)』
日記の後のほうになるとこの調子です。『わたしたちが食糧の切符を買っていた人がつかまったため、わたしたちは配給通帳が5冊だけで、余分のクーポンも脂もなくなってしまいました。(中略)家の中は陰うつな空気に包まれ、食糧もなさけない状態となりました。明日から一片の脂も、バターも、マーガリンもありません。』
1グラムのバターもなく、腐ったようなジャガイモとレタスの食生活、そして強制収容所・・・・・チフスによる病死。
この日記は、夢多き少女の痛烈なる大人への告発でありますが、その一部である2年間の食生活もまた現代への富める民への警告になりはしないでしょうか。
本連載は1983年9月1日~1988年5月1日までに終了したものを平出君雄氏(故人)の家族の許可を得て掲載しております。