酪農と文学 連載28
今回イソップ寓話集に登場する牛を紹介します。イソップといえば〝北風と太陽〟とか、〝田舎のネズミと都会のネズミ〟など記憶がよみがえる方も多いと思います。
この紀元前300年位前にはじめてまとめられた「イソップ寓話集」が今日伝わっている、いわゆるイソップ物語の原形といわれており、イソップという人の名前は、ギリシャ語でアイソポスというそうです。多くの動物が登場する中で牛も数多く含まれており、大昔からの人間と牛のかかわりが理解できます。3つばかりの牛を素材とした寓話を紹介してみます。
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めす仔牛あわれ 同情する牡牛?
イソップ寓話集に登場する動物は100種にものぼる。その中で、牛にかかわるものが10話位出てくる。人間と動物、動物と動物のおりなす寓話を集大成したものですが、われわれが幼い頃から親しんできた〝イソップ物語〟、このイソップというのはギリシャ語ではアイソポスというそうですが、この人が語りついできた、といわれています。
この寓話集は358の寓話から構成されていて古代ギリシャの貧しいどれいから始まって、一般大衆の処世術のようなもので、私達が一般的に教訓とか道徳といった受けとり方ばかりではない面をもっています。
それは、人間が善悪を含めて多面的に生きて行く上の知恵を求めているといえます。いずれにしても、多くの動物とともに牛もその一端をになっているわけです。
まず、次の寓話は3匹の牡牛とこれをねらう獅子の話しですが、団結することがいかに大切かを物語っています。
『71<3匹の>牡牛と獅子』
3匹の牡牛がいつも一緒に住んでいました。1匹の獅子が彼らを食おうと思っていましたが、彼らが心を合わせているので、できませんでした。獅子はうまいことを言って彼らに喧嘩をさせてその中を引き裂きました。そうした後で彼らがそれぞれ独りでいるのを見つけて食ってしまいました。
もしあなたが至極安穏(あんのん)に暮らそうと欲するなら、敵を信ぜず、友人を信じて彼らを失わないようになさい。』
さて、次の寓話はめすの仔牛が犠牲になる物語りですが、もし、牛達がお互いに言葉が交わされるとしたら、今日ではどのような会話をするでしょうか。この物語の牡牛とめす仔牛の会話は次のようです。
『92牝(めす)の仔牛と牡牛』
ある牝の仔牛が牡牛の働いているのを見、その骨折りを思って彼を憐れみました。しかしお祭礼がやって来た時に、人々は牡牛を放して、牝の仔牛を犠牲に捧げるため捕えました。牡牛はこれを見ると、笑って彼女に言いました。「ねえ、仔牛さん、やがてお前さんが犠牲に捧げられる筈だったから、それでお前さんは仕事をせずにいられたんだよ。」
この物語は、危険こそ怠け者を待ちうけているものだ、ということを明らかにしています。』
イソップ寓話に登場する牛と他の生き物の組み合わせには、蚊とか蚤とか小生物が多い。対象の妙ともいえるが、次にあげる「蚤と牛」の物語りは、人間がいかに牛を大切にしているかを牛と蚤とを通じて会話させているところがおもしろい。
『358蚤と牛』
蚤が、或るとき、牛に向かって、こうきいた。「何をそんなに、人間に仕えて、毎日働くか、しかも、ずぬけて大きく、男々しい君とも、あるものが、この俺様は、可哀そうにも、人間の肉を引き裂き、大口あけて、血をば、吸ってやるものを。」
牛が、言うには「人間様の御恩をば、わしは決して忘れない、いとしみ、愛して、いただいて、肩や額を、しょっちゅう、撫でてさすって、貰うもの」。
すると、蚤が答えて「おゝ、恐や、君のお好きな、その撫でさすり、私にとっちゃ、差し当たり、憐れ悲しい死でござる、万が一つ、捕えられでも、しようなら。」
これは、言葉で虚勢を張る者は単純な者によってさえ敗かされる、ということなのです。』
牛が登場する寓話を3つばかり取り上げましたが、他にもまだまだ牛を対象としたおもしろい物語りがあります。
本連載は1983年9月1日~1988年5月1日までに終了したものを平出君雄氏(故人)の家族の許可を得て掲載しております。