酪農と文学 連載41
今回もオランダの民話に「ついてないケースと、ついてるクラース」を紹介します。ケースが兄でクラースは弟、死んだ親は弟をないがしろにして、兄ケースに酪農場や牧草地など全ての財産を与えて他界します。この時点で兄は牧場主、弟はただ働き同然のようなやとわれ人ですから、兄ケースはついている、といわねばなりませんが、この民話は子供が7人もいる貧乏な弟につき(幸運)をのせています。わが国には、酪農家が民話の素材になっていないと思います。歴史が浅いから当然でしょうが、あと100年もすれば酪農家兄弟が民話として登場するでしょうか?いずれにしても酪農国オランダならではのものです。
ついてないケースとついているクラース 世界民話集(オランダ)より
乳搾りで歌えば 乳量は3倍増だ
ついてない兄の名は〝ケース〟と呼ばれ、ついている弟の名は〝クラース〟となっておりますが、兄のケースは大変金持ちで、親からうけついだ牧場など財産は全て兄ケースのものだったわけですが、兄のケースがやることはどうもついてない。要するに「人生、何をやってもうまくいかない」。
一方、弟のクラースが何故〝ついてるクラース〟と呼ばれたかそれがこの長い民話の筋になっています。
弟クラースについてこう書かれています。『クラースは、いつも父と母から、ないがしろにされていた。読むことや書くことを勉強させてもらえなかったし、いつも、おろか物だと思われていた。両親が死んだ時、ケースは家屋敷を継ぎ、クラースは何ももらえなかった。けれどクラースは、そんなことちっとも気にしなかった。クラースは、いつもこう唱えていた。「ほかのやつがなんと言ったって、神様のお助けがありゃあ、うまくいくもんだ」』この言葉をクラースは一生、口に唱えたり歌ったりしていた。
兄の牧場の使用人としてこき使われ、つらい仕事、草刈り、溝さらい、干し草の積み上げ全て弟の仕事だった。兄は何もしない。兄はたくさんの乳牛を持っていたが、搾乳などしない。だから弟への給料は弟が日曜の朝、搾った原乳の全てと、1頭のめす牛を自分の牧草地にただで放牧させてやるだけだった。兄は土曜の晩は飲んだくれて日曜の朝の搾乳はいっさいやらないのだ。
その上に、弟クラースは7人の子供がいたし、日曜の朝の原乳の報酬だけではとても生活がなりたたないだろうと思うが、ところがついているクラースなのです。
どうついてるか、全文を紹介することはできませんが、〝つき〟のもとは弟クラースが世の中でたった1つ知っている唱え文句なのです。
「ホカノヤツガナントイッタッテカミサマノオタスケガアリャウマクイクモンダ」
なんとなく神がかった唱え文句ですが、クラースがある時はこれを唱え、またあるときは少々自己流のメロディをつけて搾乳をはじめると、驚くことに乳牛らはうっとりと聞きほれながら、普段の3倍も乳を出す。
人里離れた牧場ですから、原乳はすぐ飲用向けには販売できません。そうなると、チーズ造りということですが、チーズを作る時、原乳を大ナベに入れたり、かきまぜたりしながら、例の、ほかのやつがなんと言ったって……と唱えたり、歌ったりしながらやりますと、またまた搾った分量より3倍ものチーズができ上がってしまう。
それは兄が1週間かかって作ったチーズの3倍にもなるから奇跡は起こったわけで、それ以上に弟のクラースの作ったチーズは味が抜群で、市場に持っていくと、兄なんかのチーズより3倍も高く売れるのです。奇跡は3度起ったわけです。弟クラースのチーズはオランダ1のチーズとなったわけです。
さあ、頭にきたのは兄貴です。日曜朝だけの原乳を給料代わりにしているのに、1週間しぼった自分の分の乳よりも3倍も乳を出し、チーズを作れば3倍も多く作り、オランダ1おいしくて、価格も3倍「カッカとくるね、一体どうなっているんだ」と、兄は疑問を持ち、ある日曜の朝、こっそりと弟の搾乳を観察します。
ナゾは解けた。あの〝唱え文句だ〟!。あんなことで、搾乳、チーズ造り、販売と3倍もの効力が出るなら俺にもできるぞ、と教会などに1度も行かせたことのない弟一家を追いやって搾乳を始めたわけです。
結果は次の文章を読んでいただければはっきりします。
『ケースが、1行めをまだ歌い終らないうちに、雌牛がケースをけとばしたので、ケースは、鉱石を選(よ)り分けるみぞのなかへ落っこちて肋骨を(ろっこつ)を2、3本折ってしまった。』
怒り心頭に発した兄は、その乳牛のひざを思いっきりぶん殴るわけですが、こんな調子で乳など出るわけはありませんし、他の全ての牛も同様だった。
生産、処理、販売ではどうしても弟にかなわない。よせばいいのに今度はたった1頭の弟の乳牛を、大きなチーズ用の包丁で首を切りとって殺してしまうのです。坊主にくけりゃけさまでにくい、ずいぶんいんけんな兄ですが、これがまた、ついているクラース、ついてないケースの本領がこの民話の中でさらに、発揮されていくのです。
本連載は1983年9月1日~1988年5月1日までに終了したものを平出君雄氏(故人)の家族の許可を得て掲載しております。