酪農と文学 連載40
今回はオランダの民話から紹介します。オランダは酪農国ですから、昔話や民話の中にかなり酪農が登場します。今回紹介します「聖アントニウスに雌牛を売り付けたお百姓の話」という長い長い題名のお話は昔話ではなく笑い話、という位置づけになっています。
ある農家の亭主が、かみさんのいいつけで乳牛を売りに行き、市場では売れず、教会の彫刻(ブタをつけた聖アントニウス)にうりつけ、売った方も、買ったほうも幸せでした、という内容です。牛を売るところで亭主のおろかさが表現されていますが、賢い妻におろかな夫という設定は、いずこの国も同じ、笑い話の基本のようです。
聖アントニウスに雌牛を売りつけたお百姓の話 世界の民話(オランダ)より
乳牛1頭に精魂 聖者が結ぶ幸せ
『昔むかし、あるところに、とてもおろかなお百姓がいました。ところがその人のおかみさんは、とても賢い人でした。』という調子で始まるこのオランダの笑い話(民話)は、搾乳牛を2,3頭位持っている兼業酪農家のお話しです。
さて、乳牛の世話は勿論、農園の仕事から生産物の売り買いにはじまって、家事いっさいえをとりしきるこの賢い酪農家婦人は、ある時足をけがして歩けなくなります。
いろいろ家庭の事情があったのか、おかみさんが動けなくなった日、前々からこの家では搾乳牛を売ることに決めておりました。当然こうした仕事はおかみさんの仕事ですが、なにしろけがで動けなければ仕方ないことで、市場へ行ってめす牛を売ってくる仕事を亭主にたのみます。
書き出しの原文にもありますように、このお話しに登場するお百姓は”とてもおろか〟でありましたから、賢いおかみさんはめす牛を売る時の注意をご亭主に十分します。
『まずあんたは、あまりしゃべっちゃいけないよ。さもないと、あんたがおろか者だってことが見破られてしまうからね。その次に、おしゃべりの仲買人とは、かかわりを持たないほうがいいよ。なにしろおしゃべりな人間は、買いやしないんだからね(後略)』といった調子で、売値の下限価格も注意し、もしそれ以下なら売らずに乳牛をつれかえって欲しい、しかしなるべく売れるようにがんばってもらいたい。地代を払うのにお金がいるからなどと、こと細かに注意事項を教えてご亭主を送り出したわけです。
ハンネス(ご亭主の名前)が市場に乳牛を持ちこむと、なかなかの乳牛なので、いろいろの仲買人が話しかけてきます。相手が気を入れて買いとろうとするが、しゃべらずにしかも、おかみさんに指示された代金を出す仲買人などいるわけがない。
おかみさんの注意に「おしゃべりな仲買人には売るな」があったからです。とうとう牛は売れません。しかし、できるだけ売ってきて欲しい、というおかみさんの注意事項も気になります。売って帰らないと、おかみさんにまた馬鹿にされる。
しかし、売れなかったものは仕方ない。ハンネス氏は牛をつれて、とぼとぼと家路につきますが、途中で村の教会の前を通りかかり、教会の扉が開いているので、おろかなハンネスは『そうだ、ちょっとなかをのぞいて行こう。ひょっとしたら、ここに買い手がいるかもしれない。』と考えたわけです。
ハンネスがどの位、おろかであるかがこれからです。教会の中にはブタを連れた聖アントニウスの彫刻があり、ハンネスはこの彫刻に向かって乳牛を買ってくれと話しかけます。彫刻がしゃべるわけがない。しかし、おしゃべりでないところが、かみさんの「注意事項」にぴったりなのだ。声をあらげて価格交渉がはじまる。相手は黙して語らずだ。ハンネスは〝ブタを買った位だ、おれの牛も買ってくれ〟といくら交渉してもムダです。とうとうハンネス氏、腹をたてて持っている杖で聖アントニウスをぶん殴ってしまう。殴られた聖アントニウスの彫刻はグラグラとゆれます。その時ハンネスの足元に落ちてきたのは、教会の「管理人」がひそかにへそくっていた、かなりの大金でした。ハンネスはこの大金の交渉に大満足で、乳牛を教会のイスにつないで帰ってしまう。
教会の扉をしめよう、とやってきた管理人が、ハンネスがつないでいった乳牛を見てどの位おどろき、そしてまた〝へそくり〟をとられたことに、どのように落胆しかつ、うろたえたかご想像いただけますでしょうか。
しかし、このお話は、これで終っていません。管理人は司祭にへそくっていたことも含め全てをうちあけて相談します。司祭は考えた末、乳牛を「私(司祭)からの贈物だ」といって家に持ち帰らす。管理人のおかみさんは浪費家ですが、なぜか司祭のくれた乳牛1頭を精魂こめて世話をしていきます。高泌乳牛の牛ですから乳もたくさん出ます。このため、土地も手に入れたり、さらに、さらに多頭化します。収入もたくさん入ってきます。牛の世話に夢中で浪費一方のかみさんは節約家へとも変り、まずは管理人の家は酪農業で栄え、めでたし、めでたしとなるわけです。
勿論、大金が手に入ったため、ハンネス氏もおかみさんに尊敬され、まずまずハンネス家も幸せでした、という結末になっています。
本連載は1983年9月1日~1988年5月1日までに終了したものを平出君雄氏(故人)の家族の許可を得て掲載しております。