酪農と文学 連載12
文学作品に現われる牛乳や乳製品は多くの場合、単なるミルクとかバター、チーズとか、製品そのもので表現されていますが、今回紹介する2作品、スティーブンソンの「宝島」とドストエフスキーの「賭博者」に登場するチーズと牛乳には栄養面や生理的な表現がつけられています。「とっても栄養豊富なチーズ」といわせているスティーブンソン、「牛乳、あんなもの飲めば腹をこわすよ」といわせているドストエフスキー、今回は対照的な作品を紹介してみます。
宝島―R・Lスティーブンソン 著アマゾンで検索
賭博者―ドストエフスキー 著アマゾンで検索
栄養豊富チーズと割食った飲用牛乳
読者のみなさんの中には幼い時、この宝島をお読みになった人が多いでしょう。 松葉杖をついた海賊のリーダー格のシルヴァーや、リンゴのたる中で海賊達ののっとり作戦を聞いて恐怖にふるえているジム少年、島におきざりの刑にされたベン・ガンなど、なんとも個性的な人物が縦横に躍動する冒険小説です。
さて、この時代船乗り達にとってチーズがいかに栄養価の高い貴重な食べ物であったかがわかります。
海賊達との戦いの最中に島で出くわす、ジム少年と、3年も孤島で暮してきたベン・ガンとよばれる海賊との最初の会話にそれが出てきます。
ベン・ガンは夜になると何度も何度もチーズの夢をみたのです。もっとも人間らしい食い物、ベン・ガンにとってはそれがチーズだったのです。
作者スティーブンソンはベン・ガンに次のように言わせています。
『「3年前に置き去りにされてね」彼はいいつづけた。「それからこっちは、山羊と苺と、カキで命をつないできたんだ。どこにいても人間ってものはね、人間てものはどうにかやってゆけるもんだよ。だが、兄弟、おれは人間の食い物がほしくってたまんねえのさ。おめえさんはひょっとしてチーズを一片(ひときれ)もちあわせていやしねえか、え?もってねえって?やれやれ、おらあ幾晩も幾晩もチーズの夢をみてきたよ、―てえげえ、トーストにしたやつさ。―そんでまた眼がさめてみると、やっぱりここにいるのさ。」「もしいつかぼくがまた船へ乗れたら、きみにチーズをどっさりあげるよ」わたしはいった。』
物語が進むにつれて、ジム少年はこのベン・ガンのチーズの夢をかなえてやるのですが、その前に財宝のありかを知っているこの孤島の住人をいかに仲間に引きいれていくか、まさにチーズの効用が表現されています。
船医である先生がジム少年につぎのように話します。
『「(前略)その男がほしがってるっ、きみにいったのはチーズだけだっけか?」「ええ、チーズです」わたしは答えた。「じゃあジム」彼はいった。「食べ物にやかましいとどんないいことになるか見てごらん。きみはわたしの嗅(か)ぎタバコ入れを見たことがあるだろう?だけど、わたしが嗅ぎタバコをとりだすのは1度も見たことがないだろう。そのわけはこうなんだ、あの嗅ぎタバコ入れにはパルマ・チーズが入れてあるのさ、―イタリーでつくったチーズで、とても栄養豊富なんだ。まあ、あれをベン・ガンにくれてやるんだな」』
チーズをかぎタバコの袋にひそませている先生も変わっているが「とても栄養豊富なんだ」といわせる作者の心にくいばかりの配慮に驚きますね。こうした点にも少年小説の枠をこえて、広く大人達にも読まれた理由がひそんでいます。
この宝島に登場するチーズは「夢にまで見たチーズ」であり「とても栄養豊富なチーズ」ですが、ドストエフスキーの「賭博者」にでてくる牛乳は少し趣きがちがいます。
小説のスジはドイツのある架空の都市のカジノを中心にくりひろげられる、ロシヤの貴族や金持ちのフランス人やイギリス人達のおりなす人間模様です。賭けの魔力や人間のみにくさを描いています。
スジ書きや登場人物をくわしく紹介するための紙数が足りませんのではぶきますが、次のような描写は、賭けに夢中になった人間が他にいかなることにも耳を傾けないかが見事に表現されています。
大金持の車イスにのったロシアのこのおばさんは、その遺産をもくろむ近親の将軍とよばれる男や、これをとりまく連中の制止も聞かずにカジノで賭け続け、結局はすってんてんになってモスクワに帰るのですが―。
なんとかこの気の狂ったようなおばあさんのカジノ通いをやめさせようと、牧場へのピクニックを進言します。
『「みずみずしい草の上で牛乳を飲むんですよ」』と。しかし、家庭教師で賭博師へとのめりこんで行く主人公をとおして作者は念をおさせます。
『「牛乳だの、みずみずしい草だの―こういったものが、パリのブルジョアにあっては、理想的な牧歌情緒のすべてなのだ(後略)』。
そして決定的な罵声をおばあさんにはかせます。 『「ふん、お前さんなんぞ、牛乳もろとも消えておしまい!ひとりでお飲みよ、わたしゃあんなもの飲むとお腹が痛くなってね。それになんだって付きまとうだえ!?」お祖母さんは叫んだ。(後略)』
まさか作者ドストエフスキーはドイツの乳質が悪いと思ってたわけではないでしょう。
賭けに狂うこの場に登場した牛乳はワリをくったわけです。しかしウラをかえせば、作者は何か牛乳という飲み物に思い入れがあったからこそ会話の素材に使ったと思います。
いずれにしても、この2作品は栄養豊富とか腹をこわすとか、極めて栄養学的、生理的表現をしていることが特徴的です。
本連載は1983年9月1日~1988年5月1日までに終了したものを平出君雄氏(故人)の家族の許可を得て掲載しております。