酪農と文学
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16人の漂流民が10年後ロシアの女帝エカチェリーナの拝謁を得てロシア使節ラックスマンとともに帰国した時はたったの2人でした。2人はロシアにとどまりましたが12人が死んだわけです。それだけ異国での生活は筆舌につくしがたいものがあったわけです。従ってこの小説の中には餓えとの戦いが随所に出てきます。特に前半は重要なファクターになっていますが異国で出会う江戸末期の日本人の牛乳や牛肉に対する反応がよく描かれていますので紹介します。

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餓死するなら牛の乳も我慢

1983-10-01

この歴史小説のあらすじを追いながら紹介しませんと、酪農産品(牛乳、乳製品、牛肉など)との出会いについてふれてもしっくりこないと思います。なぜか―この時代国外ではアメリカが独立宣言、フランスではフランス革命があったそのはざまの天明2年、国内にあっては〝百姓一揆〟〝うちこわし〟が相つぐというまさに国内外まことにドラマチックな時代に伊勢(三重県)の白子の浦を出帆した光太夫(こうだゆう)を入れて16名の船のりが駿河沖であらしにあい8ヶ月も漂流した、その果てがアレウト列島のアムチトカという島です。その島で約三年間をロシアの毛皮商人も入り乱れてのまさに〝生きぬく〟ことが繰りひろげられるわけです。誰れもが想像できるでしょうか、彼等の苦闘は食べることであり、寝起きする所であり、寒さをしのぐ衣類のことです。これに異国という状況が彼等をとりまけば……。


さて、このアムチトカからなんとか脱出をと考えたのは光太夫一行だけでありません。ロシアの牛皮商会の連中も年1回迎えにきた船(ニビジモフ号)が難破して使いものにならない。両国人は共同して神昌丸とニビジモフ号の残がいを組みたてアムチトカからカムチャッカのウスチカムチャッカに船出します。ロシア人25名、日本人は9名、そうです、16人のうち漂流中に1名、島の生活で6名が死んでいるのです。


このカムチャッカの長官がオルレアンコフ少佐ですがニジネカムチャックに在る長官の家で夕食をご馳走になるわけです。あとの文章と関連がでてきますから先ず状線ともいえる部分はこう書かれています。 『一同は長官の家でチャプチャという魚を乾したものと、白酒のような汁(スープ)にタワラという草の実を入れたものを御馳走になった。汁は錫の鉢に入れられてあった。』この〝白酒のような汁こそ牛乳、正確には原乳なのです。


くどく説明しなくても次の文書を読んでいただくと私が試みている酪農産品(かた苦しい表現ですが)との出会いが理解してもらえます。 『翌朝、光太夫も他の8人の者も、それぞれの宿舎で、朝食として麦の焼パンと、ゆうべと同じ白酒のような汁を供された。汁はゆうべのより濃くてうまかった。アムチトカ島で、毎日のように啜った百合の根を材料にして作った汁と同様のものであろうかと思われたが、数日後にこれが牛の乳であることが判った。宿舎の主婦が毎日のように小桶をもってどこかへ出掛けて行くのを、磯吉が怪しんで、そのあとをつけて行ってみると、彼女は家の横手の牛小屋にはいり、黄牛と黒牛から乳を搾り、1匹より1升45合も出るのを採って帰ったということであった。この磯吉の報告で、一同は穢らわしく思い、以後白い汁は飲まないことにし、加えて肉食をしない由を申し立てて、時折食膳にのる牛肉も返上することにした。』


搾りたての牛乳と牛肉を返上する……今日では考えられない食品栄養知識なのだが、江戸末期しかも漂流民という立場も加味すると日本人のたどってきた食生活が浮きぼりにされてます。〝一同は穢らわしく思い〟のくだりは読んでいてもしばらく考え込んでしまう。


彼等の拒否姿勢は餓死寸前まで続くのです。カムチャッカの住民さえ食糧不足になやまされているというのに―。


彼等が牛の股(もも)肉を切りとって口に入れるまでの経過を知るためこの小説の中から抜き出してみましょう。『食糧が尽きた3日目に、吹雪の中を役人がやってきて、牛の股を2つ持ってきた』『お前さんたちは、伊勢とかいうところの生れで、獣の肉は食わんそうだが、この期に及んで、そんな禁忌を守っていたら餓死してしまうだけだ(中略)』『こんな牛肉にありつけるのは、お前さんたちが他国の人間であればこそだ。ニジネカムチャツクの町の人間に聞かしてみろ、胆を潰すぞ』『役人が帰っていくと磯吉がすぐ小刀で肉を切りとって、そのひときれを口にいれた(中略)みんな食ったな。食ってしまった以上、もはや兎や角言っても始まらねえことだ。この牛の股二つで、俺たちはできるだけ長く生命を保ち堪える算段せねばならぬ』


彼等は牛の股2つで五十日間生きのびたのだ。人間餓死を前にすれば食習慣もタブーもあったもんではない。読んでる者も五十日位生きのびる気がする。


さて、ロシア政府の加護の下に首都ペテルスブルグへと筆は進められていくが、仲間の九右衛門が病でふせると磯吉はラックスマン家からチーズなどをもらってきて病人にすすめている描写が出てくる。トボリスクでは朝もやの中の放牧風景の描写が登場するし、光太夫が餞別に貰った品の記録に「1、コオフより乾牛肉4貫5百匁」などというのも書かれています。


この小説は日本文学大賞をうけている通り、たった2人しか帰国できなかった漂流民、光太夫を中心人物において活写した感動的な歴史小説ですが作者が好むと好まざるとにかかわらず餓えとそれにともなう食べ物への描写は必要だったでしょう。とにかく異国での漂流民が素材なのですから、それにしても搾乳用の桶を小桶とか、牛舎を牛小屋とか、1匹より1升45合とか表現にも細心の注意を払っています。


(次回は第1回スターリン賞をもらったノビコフ・プリボイ著の「バルチック艦隊の潰滅」と司馬遼太郎の「坂の上の曇」を合体させて、酪農産品との出会いを紹介します。)

本連載は1983年9月1日~1988年5月1日までに終了したものを平出君雄氏(故人)の家族の許可を得て掲載しております。

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