後継者、酪農女性に贈る牛飼い哲学と基礎技術
連載1
生産現場のHACCP
「牛乳を捨ててる」、叫び声 バルク冷却入れ忘れ 基本管理の大切さ
私事だが、70歳をこえ人生の第3の節目を迎え、3月末に(財)農民教育協会鯉淵学園(4年制農業生活専門学校を無事退職した。
ちょうど24年前の1979年に第1の人生として22年間、直接生産現場で酪農家に密着した千葉県農業共済連の家畜診療所勤務を辞して、第2の人生として農業後継者の養成に携わった。
この4月から第3の人生がスタートした。時代劇風に考えると、幸い鯉淵学園は水戸黄門の直轄地にある。第3の人生を迎えるにあたって「水戸黄門」にあやかって、卒業生の活躍ぶりを巡回し酪農仲間達へ紹介したらと、アドバイスしてくれる人が多かった。
私が大学卒業した当時から農業共済獣医医師時代に、身をもって酪農経営や飼養管理面の体験談を語り、私を指導してくれた酪農家が今現在、その息子、娘さらに孫達を鯉淵学園へ入学させるようになった。
往診しながら学ばせてもらった人間学を学生の適性判断に応用して、意図的に酪農ヘルパーに送り出し、また、仲人をした若夫婦たちが多数「日本酪農」を支え実践している。
このように、私を実践的な獣医師として育ててくれた先輩酪農家へのせめてもの恩返しのつもりで「古くて新しい」牛学の基本から先端技術に至る「話題」をベースに、さらなる「日本的酪農」の発展の一翼にと、月1回この紙面をお借りして情報交換の場としたい。
生乳生産現場でのHA(危害分析)
新年の挨拶に夕方の搾乳が終わる頃を見計らって牧場を訪問した。年少組の幼な子がとび出してきて「牛乳捨ててる!?」と。バルク室入口には黄色の大型散水タンクを載せたトラックが横付けされ、家族総出でのバケツリレーでバルク乳の「牛乳」を搬出していた。一瞬「抗生物質混入」か?と脳裏をかすめたが、この牧場は治療牛は必ず別棟に移動させていたはず。抗生物質ではない。
バルクタンクの蛇口(バルブ)はローリーのミルクホースの口金に合わせてあって、床との間は一握りの間隔しかない。バルブからほとばしる白乳を洗面器に受け、バルブを閉じバケツに移す。そしてまた洗面器に受乳する。これを数百回、交代しながら繰り返した。
小学生から老若夫婦全員、黙々と私も参加して「白い生ぬるい牛乳」を搬出し廃棄した。(バルブを閉め忘れて牛乳を川に飲ませる例もあるが、白濁した川面に気づいた人の助けでこれは何とか救われる方が多い)
今回のはバルク冷却スイッチの入れ忘れである。偶然の重なりとはいえ、家族全員気づかずに搾乳終了させてしまったのだ。
「もしあなたの牧場でこの事態が発生したら?」どのように対処しますか。
非常事態発生を温度計で感知した牧場主は日頃から仲間達とアイス工房を経営し、乳温には神経を使っていた。手作りアイス用に持ち寄った生乳の温度が15度を超えていたら、出来上がったアイスは食えたものでないことを身をもって知っていたのだ。
乳温が8度以上になるとアイスの味がまずくなると、教科書の活字で覚えたのではなく、常に消費者と交流しながら「うまいアイス」と褒められて「銭」を受け取る。これを生甲斐と誇りにしていた。このような経歴の牧場主だからこそ、この非常事態を正月の教訓とし、我家の牧草への「こやし」として投入できたようだ。
外国の酪農を見学したときに、昔なつかしい牛乳缶が道端に放置され、昼近くに馬車が集乳していた。わが国も近年まで川や水槽に「どぶ漬け」したり、トップクーラーと称する細い管に水を循環させ乳缶に沈めて乳温を下げたが、水温以下にはならなかった。
この記憶を引きずっていたら、Y乳業がツララが落下して停電したが、厳冬期だから大丈夫だろうと製品にして多数の中毒者を発生させた事件が起きた。この轍を踏むことなく前述の酪農家はきっぱりと廃棄した。
HA・CCP(危害分析・重要管理点監視方式)
右も左もHACCPばやりだが、最も早く認証された大メーカーが真っ先に食中毒を発生させたし、偽装肉から虚偽報告とHACCP根源がゆらぎ情報の共有すら遵守されていない。
そもそもHACCPとはHAとCCPに大別し、生産者自らが科学的根拠に基づき生産現場で発生が予測される危害を未然に予防し、この予防管理が確実に行われたデーター(温度など)記録を残していく方式である。この方式は酪農家が消費者へ生乳の安全と高品質を保障することであり、ひいては安定持続した酪農経営をももたらすことになる。ここでHACCPを支えるのは画期的な技術や高価な機械の導入よりも、日々の清掃や消毒といった基本的な維持管理の実行である。
不況の中で牧場のなかには飼養管理面での手抜きが見聞される。バルクやパイプラインの洗浄水の排水不良。洗浄不良による乳石も冬期の細菌数の増加をも招く。手抜きは土台のない塔である。家を建てるにはまず土台がしっかりしていなければならない。
抗生物質汚染問題は関係者全員の努力で失敗は聞かれなくなった。これは患牛に対する手順(マニュアル)が確立し、その記録を家族全員が掌握できるように情報が浸透されるようになったからである。HACCPの提唱する「記録」に接近している。
乳質改善運動開始頃の東京都は美濃部知事だった。都は食品衛生法令の市乳の細菌数5万以下を、市乳工場の殺菌能力から逆算して、酪農家の原乳細菌数を400万以下に規制した。
当時は川で冷やし、集乳所では乳缶からミミズや長靴まで飛び出した。原乳は工場で殺菌されるはずだと、生産現場でのHACCPの考えはなく「400万」でパニックに陥った。
現在は乳製品の安全性確保には消費者自らも参画し、自分の健康は自ら守る。そのために生産者とともに消費者が「あこがれる牧場」に環境改善が要求されている。
バルクタンクの作動時には舎内からも道路からも良く見えるように赤ランプが点灯するなど、消費者のみならず自らも「口」にする食品への安全性が実感できる配慮が必要だ。
本連載は2003年5月1日~2010年4月1日までに終了したものを著者・中野光志氏(元鯉淵学園教授)の許可を得て掲載するものです。