後継者、酪農女性に贈る牛飼い哲学と基礎技術
連載59
牛の慢性病の病原菌 坑酸菌は消石灰で封じ込め 進化した細菌の逆襲「子連れ忍者」に要注意
新年度を迎えたが、明るい話題に乏しい。我が酪農界をめぐる環境を見ると、今年は特に厳しく「冬来たりなば春近し」か。食の偽装問題から輸入食品の農薬事件。わが牛乳はブルセラ・ヨーネ病の擬似判定からの自主回収となったが、これは両者とも再検査の結果は陰性。消費者への人的被害はなく、自主回収も中途で中止となった。
しかし、新聞には連日「自主回収広告」が掲載された挙句、内容を分かりやすく且つ適切に対処できるように掲載せよと、消費者団体からの申し入れがあった。
東京都や各自治体のホームページから「自主回収情報リスト」を抽出してまとめると、食品関係だけで毎月ほぼ15件前後の自主回収が発生している。その多くが加工器具の金具、プラスチックの破損片混入やカビの発生(これは逆にみれば坑カビ添加剤が無添加だとPRしてるのかもしれない)、中には押し麦の中に穀類を好食する「コクゾウムシ」の混入まで(殺虫剤不使用広告か?)があった。
食品の有名ブランド店の賞味期限表示ミスも目立つが、不思議なことに賞味期限を「自主的に延長」した詫び文ばかりで、短縮の間違えはないようだ。乳酸菌製品では、酵母や大腸菌(殆どが非病原性)の混入やジャガイモとコーン澱粉の取り違えがあった。
ブルセラ・ヨーネ病の擬似判定での牛乳の自主回収は、50万人余の学童への給食用であったことが大きく報じられ、またすべて殺菌乳であるから人への被害はないと告示しているが、病乳や細菌の死骸混入という不安を掻き立てた。
今回は発生源の乳牛そのものが再検査判定で陰性だったので、感染症問題が消滅し自主回収は不要となったが、この結末は肝心の消費者には殆ど伝達されず、牛乳に対する不信感だけが残った。
「食の安全と安心」問題に火をつけたBSEの全頭検査問題は、消費者への安心感を先取りするための感覚的、政治的導入であったが、パニックを脱した現在、冷静な科学的根拠に基く検査に移行しつつある。ヨーネ病しかり、人的被害を防止する手段は、検査や回収だけではない。2重、3重の防止措置をもう少し評価しても良いのではないか。
話をBSEに戻せば、と畜場職員の危険防止のために、と殺した牛の額から針金を通し、脊髄を破壊して反射を抑えるピッシング法は、BSE過大被害国の欧州に見習って全面禁止に向かっている。ピッシング時に血液に混入したり周囲に飛散汚染するのを防ぐためだ。
ほんの微量と思われるが、英国では骨に残った肉を機械的に砕いてこそぎ取る処理でBSEの原因となる異常プリオンが混入したと考えられ、我国の献血でも安全確保のため、96年まで英国、仏国に1日でも滞在した者は献血停止処置が取られてきた。
また、05年まで欧州の一部の国の滞在者の献血が禁止されていた。すでにBSE汚染国となった我国はスイスなどより果たして安全なのだろうか。
牛肉輸入解禁でアメリカ産牛肉を使用する焼肉屋が営業を再開したという看板をみかけるようになった。だが、BSEよりも濃密な汚染国であるアメリカ産牛肉のヨーネ汚染については殆ど知らされていない。このヨーネについては、神奈川県で発生したヨーネ牛乳擬似問題に先行して自主回収した福島のブルセラ(再検査で陰性)があった。
ブルセラは古くから結核と共に年配の酪農家にとって乳牛の健康手帳と共に馴染み深い伝染病であった。法に基づく殺処分の効あって現在は我国での発生は殆どゼロ。農水省の07年度統計によると、ブルセラ病の発生頭数は1頭、結核0頭、ヨーネ病は435戸で1048頭だった。
昭和30年代初めはジャージー牛の輸入が盛んだった。当時学生だった筆者は横浜動物検疫所でブルセラ菌感染牛の隔離、飼育管理をした。その経験は良き実習となったうえ、良きアルバイトにもなったものだ。
また、地中海のマルタ島で英兵が熱病に感染してマルタ熱と称されたが、山羊の生乳を飲んでブルセラ菌に感染したことが原因だったとの講義も聞かされた。
江戸時代は労咳と言われた結核は近年までは不治の病と恐れられていた。大正から戦後に掛けては年間死亡者数が10数万人にも及ぶ死亡原因の第1位で「国民病」だった。栄養向上と抗菌剤の開発により、結核は我国では人畜とも過去の病になっている。
ブルセラで不名誉な山羊も牛より結核に罹りにくいことから、山羊乳は病人に重宝され、現在も健全している。
問題のヨーネはこの難病だった労咳=結核と同じ仲間に分類される頑固な細菌で、さらにこの仲間にらい病(レプラ菌)があり、結核、レプラ、ヨーネという、悪の3大慢性病の病原菌だ。細胞壁が頑固なワックスでガードされ、酸に抵抗するため「抗酸菌」とよばれる。ワックス壁は馴染みの界面剤や塩素系消毒剤にも頑固に抵抗するので、消石灰による封じ込めが有効だ。
最近の研究では、ヨーネや黄色ブドウ球菌が忍者のように白血球内に潜伏するという旧来の細菌学では考えられない現象が確認されている。酪農家が頭を痛めている体細胞が本来なら食菌作用を持つ好中球やマクロファージなどの白血球群が細菌を食い殺すはずだが、この忍者を細胞内に潜伏させるばかりか勝手に増殖までさせる。細胞自身が老衰すると忍者達は子連れで血液内に進出して悪事を働くことが確認された。
牛乳の中の忍者を低温殺菌で処理しても多量の汚染時には体細胞を盾に生き延びる残党がある。冷蔵庫内(体内ならさらに好都合)で生き返り、毒素産生や腸管内潜伏といった悪さをする。まさに細菌の進化に伴う逆襲ともいえよう。
このように、食品の自主回収に見られる不安因子は非常に多い。畜産・酪農界でも過去にヒ素粉ミルク、O-157、黄色ブドウ球菌、大腸菌、BSE、殺菌剤残留など、ネガティブな汚点に曝されてきた。消費者の不安をいかに回復させるかは、畜産・酪農界にとって大きな課題である。
もし「あってはならぬ事態」が発生した時、危機管理として決定すべき事項は、後になって再評価する必要がある。危機管理に対する意思決定は、常にその時点で最善であると考えて行うしかない。
しかし、その決断のプロセスや結果を常に検証し、「あってはならぬこと」を「なかったこと」にせず、次に生かす作業が何よりも重要である。
食品の安全性確保は、事故が起きてから対応するだけでなく、健康への悪影響を未然に防ぐためにも、最新の科学的知見に基づいて行うことが必要だ。
日本でBSEが発生した01年、当時の農林水産大臣、厚生労働大臣が「全頭検査は世界1厳しい検査だ。これで安全」と安全宣言したため、国民は「全頭検査が唯一安全を確保する」と信じてしまった。
食品の問題は、1者だけで解決するものではない。行政、国民、当事者がお互いの役割を理解し、食品の安全性確保に関する情報や意見の交流を通じて、食品の安全に対する共通の認識を持ち、互いに協力しあう関係を築くことが最も重要だ。
本連載は2003年5月1日~2010年4月1日までに終了したものを著者・中野光志氏(元鯉淵学園教授)の許可を得て掲載するものです。