後継者、酪農女性に贈る牛飼い哲学と基礎技術
連載44
牛は草食獣か? 雑食動物として人類に貢献 ルーメン内の微生物菌体蛋白質は肉製品
牛は草食獣?それとも肉食獣?
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のことわざのとおり、食道の存在を実感している人は少ない。先日、筆者は15年ぶりに胃カメラ検診を受けた。私事ながらラマダン(断食)月間のインドネシア山地での生活が影響したのか「痩せたぞ」と周りがうるさく言うので、胃肝(消化器)の検診をすることになった。
胃カメラが喉を通過したら全く感覚が無く、カメラから送られてくる映像が鮮やかに映し出され、食道から胃内へ、更に十二指腸まで次々と皺壁の状況が手にとるように観察された。
これが牛の場合、4個の胃の中で9割を占め、食道が進化して形成された「ルーメン」内の内容物200㍑を人間並みに前日の夕食を早めに終らせる程度で空っぽにすることなど不可能だ。戦時中に動物園の象を殺処分するために、やむなく絶食を1カ月続けても死亡しなかった悲惨な事実を思い出して欲しい。
前胃・ルーメンでは大量の粗飼料、すなわち植物繊維が微生物の働きで分解消化されるが、わらを束ねる化学合成繊維製のバインダーのヒモや手袋、中にはゴム製の手袋を飲み込むと、前胃内で石状に固まってしまう。すると、反芻を妨げたり、さらに各胃を連結する胃門を閉塞。食滞になって、開腹切開手術が多発した時代があった。
反対にそれを利用して、化学繊維を工夫してタワシ状に束ねてルーメン内に留置し、藁や粗繊維不足から生じるルーメンの「物理的撹拌運動停止」を防止して食滞予防に役立てる器具も市販された。
このように、無神経の食道が進化した前胃は鈍感で、飼槽の破片や砂利をゲテモノ食い(異嗜)してバケツ1杯分も石や異物が回収されるほど貯めこんでもルーメンは痛みを感じることがない。そのため、潜在した食滞症状が多い。
また、不幸にして英国ではBSE問題で数百万頭の乳牛が殺処分された。その原因が草食動物たる牛に、人間がか弱き迷える子羊を食わせたという「肉食」、しかも反芻動物同志の「共食い」をさせたことによるものだという。まさに人間のエゴの犠牲だと騒々しかった。
だが、冷静に考えてみると、有史以前の反芻動物発祥時代から、牛はルーメン内で微生物を飼育してエネルギー源としている。その微生物そのものの生産量は乾物で毎日5㌔にも達し、その生産物たる菌体蛋白質、すなわち肉製品を後胃(第4胃)へ搬送し続けて来ている。
後胃・第4胃では牛自らが分泌する消化液(胃液)で、この肉製品を消化分解して貴重な動物質必須アミノ酸を獲得し、牛自らの生命と畜産物を生産し続けている。
牛・反芻動物は見かけ上は草食獣で小心者なのだと同情を誘う。しかで、実は巧妙な仕組みを有する。後胃・第4胃は解剖学的にも肉食動物と同一の消化腺である腺胃を有している。鈍食の代表格である豚同様、草・肉両混の雑食動物だからこそ粗食に耐え、効率よく畜産物を生産して人類に貢献しているのだ。
第4胃では、分泌された胃液がルーメン内で分解されなかった、いわゆる非分解性蛋白質(UDP=Undegradability Protein)の消化が行われる。哺乳期には凝乳酵素であるレンネットが胃液に分泌され、液状の牛乳を凝固させる。その凝固乳を第4胃内に滞留させて蛋白分解酵素であるペプシン消化液との分解消化作用時間を確保している。このように後胃・第4胃は前胃・第3胃と連続する連絡口、人間の胃では噴門に相当するところには分界弁があって、粘膜がヒダ状に突出して第4胃からの逆流を防いでいる。
飼料の消化延べ時間
胃カメラ検診も胃内容物が滞留していては胃壁の観察は困難である。牛は巨大な前胃から間断なく分解物が送入される。そのため、人間のように4胃が空っぽになることはない。
また、第4胃への送入量は1日あたり15㍑くらいで、さらに胃液分泌量は30㍑である。4胃では、胃液と内容物が毎分4~6回こまやかに蠕動混合を繰り返しているが、第4胃からの胃の内容成分の吸収は無く、消化作用のみが持続している。
十二指腸への送入量は摂食後1時間くらいで最大になり、その量は最低時の4倍にも達している。
牛が採食したものが排糞されるまでの時間は飼養条件により差はあるが、平均70~90時間、全て排出するまでには7~10日ほどかかる。
飼料の栄養効果試験などでは飼料を切り替えて最低2週間以上経過するまでは切り替え前の飼料の影響が残っているので、更に2週間は同一条件で給与して効果判定することになる。
胃のみならず小腸・大腸でも栄養素(分解された飼料)の消化吸収が行われるが、第4胃から排糞までの時間は我々人間とそれほど変わらず、数日以内で排泄される。
反芻動物では、排糞までの時間のほとんどが、ルーメンである前胃(第1~3胃)での消化吸収のための滞留時間である。人間とは内容物の量と質の違いが大き過ぎて、下痢や胃洗浄による荒療治が期待できないことが弱点になっている。
胃潰瘍は胃壁の消化現象
第4胃内腔には、胃液である蛋白分解酵素・ペプシンやこの作用を促進する強酸である塩酸が分泌される。前胃から搬送されてくる飼料分解産物に作用し、更に消化分解するが、第4胃の胃壁にも胃液が作用する。つまり、いわゆる胃潰瘍が発生するおそれがある。
だが、健康な状態では胃壁の消化による障害である胃潰瘍は生じない。胃潰瘍を防護するために胃壁粘膜表面には再生力が強い上皮細胞層が組織化されている。牛乳中の体細胞の仲間と同じ上皮細胞である。
この細胞が細胞質内部に粘液物質を生成し、さらに胃壁表面に分泌して保護膜を常時再生形成している。胃潰瘍は人同様に上皮細胞に分布する神経・血行に障害を招く可能性があり、多発している第4胃変位との併発も認められている。
本連載は2003年5月1日~2010年4月1日までに終了したものを著者・中野光志氏(元鯉淵学園教授)の許可を得て掲載するものです。