後継者、酪農女性に贈る牛飼い哲学と基礎技術
連載61
お産について学ぼう 分娩前後の低カルに注意 脱水状態に効果大きいバケツ1杯の味噌汁を
6月は「JUNEBRIDE!」。6月に結婚すると幸せになるといわれている。また、バラの花と夏至が登場する月でもある。バラは明るい紅色。幸せや希望に満ち溢れ輝かしい未来を象徴する花。夏至は北半球では太陽の南中高度と、昼間の長さが最大になる。夜が長く、厳しい冬を過ごした畜産先進国である北欧では、盛大な夏至祭を催し、最も快適で賑わう季節だ。
これらを畜産的に解釈すると、まず6月に授精したら、いつ分娩するのだろうか?分娩予定月は授精の月数から3月を引く、もし引き算できない2月前後ならば、9月を足して求める。
歌の文句にあるとおり、トツキトウカ、すなわち10月10日を鵜呑みにしてはいけない。例えば、外国からの酪農研修生に身振りで手っ取り早く両手の指で教え込む。帰国した研修生は現地では酪農指導者として活躍しているが、実際の分娩が計算よりもひと月早くなる。すると、早産したと心配することになる。
だが、私はこの方が畜主にとってはいいことだと思っている。人間が知らぬ間に牛自身が自然に分娩が出来る。そして、牛飼い初心者が陥りやすい人工的な分娩事故が未然に防止できるからだ。
牧畜民族と農耕民族
妊娠して成長した胎児は厳冬期には母親の子宮内で加護されてぬくぬくと育つ。外気の環境が好転する早春に胎児の体重は倍増し、間もなく誕生を迎える。
分娩時の野外は牧草が芽吹き、母親の泌乳、成長ホルモンも太陽光が3月の彼岸を境に逆転して日々増大する。これに伴って乳の分泌も旺盛となり、親子とも自然環境の快適向上と共に生育する。牧畜民族は本能的に自らの生理現象と自然を上手く利用して快適に生育するものだ。
一方、我々アジアの農耕民族は米穀を主食としている。言うまでもなく、コメは秋に集中して収穫される。つまり、我々の穀類確保は年に1回だけであり、ようやく生活設計が整ってから結婚シーズンを迎える。秋季の結婚は、必然的に真夏に出産を迎える。しかもコメ作りの原点たる田植え時期は妊婦と胎児にとっては、精神的・肉体的にも試練の連続である。
人は動物であって、植物とは生理的にかなり格差が大きい。このことからも、一般的に我が国の畜産農家は飼料作物、自給飼料、堆肥作りが不得意で、輸入飼料やコメ農家に助けられなければ経営を維持するのが難しい要因になっているのかもしれない。
お産の生理
神聖な生命の誕生たるお産を話題にしているが、最近の人間界の産科医不足騒ぎはお産難民とまで報道される事態だ。
私の周りには帝王切開体験者がたくさんいる。牛の場合も帝王切開が連続した時代があったが、現在は四変手術が流行している。
確かに、重体になる前の切開手術は予防的(?)であり、健康体を切り開くのだから危険性は皆無に近い。ところが、お産そのものを陣痛の早期発見から自然分娩完了まで立ち会ってみると、丸1日を経過しないと分娩は無事に完了しない。
研修生などに勉学のために自然分娩に立ち合わせると丸1日他の仕事が停滞してしまい、埒があかなくなる。
そこで、ほとんどの人が第1破水も第2破水も確認せずに、早々と産道に手を入れてしまう。ちなみに、第1破水は尿水でまさに胎児の子宮内で貯まった尿であり黄色い。第2破水は羊水で胎児を直接保護する粘性の透明液である。
子牛に触れようものなら、さっそく子袋を母牛や胎児の都合など考えずに人の作業時間の都合を優先して早々と胎幕を破って曳き出しにかかってしまう。周りに人が多数いれば、数名がかりの力ずくで引っ張る。中にはあっさりとトラクターで牽引してしまう人もいる。
ここで胎児の状態を説明すると、陣痛開始時には胎児は子宮内で背中を下に仰向けの状態にある。第1破水時は横向きで、第2破水で背中を上に正常胎位へと経時的に回転移動するのだ。
人も牛も妊娠時間が類似している。だからといって、人のメンス時の出血と牛の種付け時の出血及び後産の排出を同一視してはならない。その理由は何だろうか?
分娩開始時の陣痛間隔、母親の挙動、排尿、排糞回数、糞の軟化状況などの生理面の観察チェックは必須項目だ。目視のみならず、分娩前日の母体の体温は約0・5度低下する。そして、骨盤靭帯が沈下して尾根部が高くなって分娩することを意識し、体温測定を数日前から同時刻に実施する方が理論的だ。
簡単にすぐ産道に手を挿入するくせに、肛門に手を入れて宿糞を除去して産道を確保しながら直腸から胎児の向きや位置を確認する人は少ない。産道内に子袋を被ったまま陣痛ごとに前進後退をゆっくり繰り返し、なおかつ元気に進入してくる。産道内では胎児の臍帯は子宮内にあって、母親からの血液循環で胎児の必要酸素は供給されている。
ところが、手を入れて産道内で子袋を破ってしまうと、羊水は胎児より先に流出。臍帯は切れるか産道内で圧迫されて血行は途絶え、酸素の供給が停止する。そして、胎児は酸欠で心配停止へと仮死状態へ進行する。
何とか胎児を引きずり出して、後肢を縛って逆さにして天井から吊り下げ、苦し紛れに肺に吸い込んでしまった羊水を吐き出させる。初心者は、この蘇生処置を行う強烈な光景を頭に叩き込まれてしまう。
この衝撃的な場面を見てしまうと、人と牛がゴッチャになり、後産も早く取り出さねばならないと判断してしまい、また手を挿入する。爪が伸びている手を入れると、繊細な子宮壁を傷つけてしまう。産道も無理な牽引で傷つき、後陣痛とともに全子宮が袋ごと脱出してしまう人工子宮脱が発生する。自然分娩なら母牛が生まれたばかりの子牛を舐めまわして親子の絆を確認し合う和みを味わえるのだが。
分娩直後の味噌汁
子宮脱に至らなくとも、自然分娩に逆らって人工分娩や後産を早々と人工剥離するなど、牛の産科生理を無視して分娩させられた母牛は、疲労困憊・脱水症状が加速している。まだ感染症が見られないうちに子宮内へ抗生物質を挿入したがる人がいる。脱水状態から回復させる効果が大きいバケツ1杯の味噌汁給与は現在、ほとんど忘れられている。胎児と羊水などで100㌔近くを放出し、空白になった腹腔内はルーメンが弛緩して四変を誘引する。
また、出産前後は低カルに陥りやすい。カルシウム不足は乳熱や起立不能など常識的な大病より、子宮、ルーメン、乳頭括約筋など、筋力が弛緩して子宮脱、四変、乳房炎を誘発するため、味噌汁へカルシウムを添加することも忘れないで実行して欲しい。
本連載は2003年5月1日~2010年4月1日までに終了したものを著者・中野光志氏(元鯉淵学園教授)の許可を得て掲載するものです。