後継者、酪農女性に贈る牛飼い哲学と基礎技術
連載23
インドネシアの体験から 乳房炎の免疫療法に期待 薬物依存から脱却 牛の自己防衛本能を喚起
印刷の都合で、この原稿は正月に書いている。したがって文面が初夢気分と反省がハイブリッドする。
私の終生のテーマとなっている乳房炎も、抗生物質の乱用に伴う耐性菌や、抗生物質が効かない新手の微生物が浮上し、一時期には減少傾向にあったはずが再び増加しつつある。さらに、発病のみならず、バルク乳への抗生物質誤入問題も頻発が続く。
そこでペニシリンなどが登場する以前にはどのような治療や対策を行っていたかを回想した。そのきっかけは昨年から数回に渡ってインドネシアのスラウェシ島の山麓のイスラム部族達と島根県三瓶開拓農協の「三瓶ランテリンボン友好センター」のボランティアに参加したことも影響している。
インドネシアでは、イスラムの人達が愛着する水牛やゼブ・シーメンタールを交雑した肉牛を飼養する環境下へホルスタインを導入する試みに参加するようになった。わが国も江戸時代に土着の和牛の中に白牛などを導入し、シーメンタールなどを経て現在はホルスタインが定着していることを念頭に現地入りした。
私は到着とともに直ちに「乳房」が観察できるものと期待していたが、乳牛の姿はみられず、宿舎の床下の野生的放し飼いの野鶏ばかり。しかも「ラジオ日本」が鳥インフルエンザ騒ぎを伝えている最中にもかかわらず、床下の野鶏は毎日私の胃の中に消えていった。
牛といえば、200戸の集落に30頭のホルスタインが飼育されていて、広大な山麓の森林の中で親子一組ずつが「森林浴」をしながら散在している。
1日1回のスコールはイスラム的には「祈りの前の沐浴」となって牛体は自然なシャワーで清拭され、牛体はスリムであるが光沢もあって伸び伸びと林間の雑草やアカシヤを食んでいた。
前段の話が長いのは、まさに自然環境に溶け込んで生棲している乳牛と、先進国日本のストレスに晒されっぱなしの乳牛の乳房炎反応との格差を実感していただくためである。
まず、現地の情況は、牛群間の交流がないので、午前中一杯山道を歩き回ってようやく一組の親子に接触できる超過疎地で感染や伝播の機会がない。森林も人口植林でないジャングルに近い環境で、話を聞いても「乳房炎」という言葉が不在で軟膏とはまったく無縁だったが、わが国の年輩者にはなつかしい「ガス腹」にはいきなり「死」という言葉が飛び交い、原因と套管針の作り方・使用法へと脱線させられた。
また、牛の親子が睦ましく、子牛は気ままに自らが離乳するまで一年近く自然哺乳している姿は、まさにほほえましい風景画である。濃厚飼料は入手できず身近な天然産物である巨大なバナナを投げ与える程度で過食の恐れは皆無だ。まさに「カウ・コンフォートの原点はここに有り」を認識させられる自然環境であった。
本題の乳房炎の検査結果であるが、勿論電気がないから手搾りであり、さらに自然哺乳で子牛がたっぷり飲んだ残りを丁寧に手搾りしているわけで、乳頭や乳房の感触はなめらかで柔軟性に富み、シャーレに採乳した生乳も純粋そのものだった。PL反応が全く無く(陰性)、電気伝導度の数値も電池が異常かと点検させられた程、信じ難いほど低い値で、健康そのものであった。
さらに、搾乳した牛乳はポリタンのまま草陰に太陽を避けて放置していた。半日以上経過し、乳温は気温そのままの32度前後であっても味覚や肉眼的所見に遜色なし。煮沸しながらパパイヤの皮汁を添加して作る「牛乳豆腐」はなかなかの上味で食することが出来た。
薬物多量消費国である自称先進国は薬漬けで、特に乳房炎は薬物依存によることが極端であり、新薬と乳房炎のいたちごっこの悪循環にある。
インドネシアの体験から、ますます「くすり」不信に陥り、生体そのものの自己防衛本能を喚起して「自然治癒」に至らしむる療法として免疫向上や遺伝などに注目すべきだと方向づけさせられた。
幸い酪農ジャーナル誌12月号にはお茶(カテキン)の効用(酪農学園大)やディリーマン正月号には栄養と免疫抵抗による乳房炎対策(北里大)など、免疫向上に関連する報告が掲載されて心強くなった。
一般的に、治療法には悪い所を外科的に切除する外科療法、外科的には除去できぬ所には物理的放射線療法、抗生物質などの薬物による化学療法があるが、それらに続いて免疫療法が研究されている。
免疫といえば予防注射ワクチンに代表されるが、乳房炎には天然痘や破傷風のように効果的なワクチンが開発されていない。
破傷風菌のように単一の菌はワクチン製造が容易であるが、乳房炎そのものは多種多様の微生物が関与している。外国では数種市販されたが、効果は定かではなく万能のワクチン開発は困難である。
しかし、臓器移植時の拒絶反応の研究などから、生体内に進入してきた細菌や臓器などの異物から身を守る免疫細胞(マクロファージやリンパ球など)を有効に活性化させて異物を除去又は無力にする免疫療法が研究されている。
また、ストレスを除去して「快適環境」、つまりカウ・コンフォート作りが健康・自然治癒を高める免疫細胞を活性化させる。「笑いは良血を作る」という言葉があるように、ナチュラルキラー細胞などを活性化させる「牛の笑顔」が見られるようにしたい。
本連載は2003年5月1日~2010年4月1日までに終了したものを著者・中野光志氏(元鯉淵学園教授)の許可を得て掲載するものです。